― クリスチャンとは ―
毎日の生活のなかで 主に出会う人々の事 キリストを通して神に惹きつけることが出来る人 これらが日常の生活の中で 喜びを表す時に神への道が あなたを通して 主イエスの所へ行き そして 神のみ前にたどり着くのです
「・・・、その群れを荒野の奥に導いて、・・・主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。・・・。」 出エジプト 3:1・2
日々の生活の中で主の使いが幻を与えてくれます このことが正に主が喜ばれてご自身を現されることなのです 骨折りつかれた生活の中に恵みの潤いへと 造り変えてくださるのです
私自身と言えば 人々にアッと驚かせるような経験を求めてはいません 日毎の仕事や生活で人々にただ仕えることを通して 父は私と交わりを持ってくださるのです
ある人たちは いつでも溢れるような喜びと啓示の山頂にいなければならないと思っているようです ・・ が それは神の方法ではありません どんなに霊的高揚した時や 驚くような目に見えない世界との 交信は神の約束ではない 神の約束は あなたには変わらない神の平安をと願っておられるのです 歯を食いしばって修行し 鍛錬した つくられた笑顔 自分で作った信仰をなど期待されてはいないのです
あなたのその 何気ない一日を 父はそれを見て笑顔でこう言うのです 「我が息子よ 我が娘よ」と。
「時に彼は夢をみた。・・・上り下りしているのを見た。」 創世紀 28:12
「道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、」 使徒 9:3
ではここより 聖書の紹介とします
― 他者への責任転換 ―
「人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、・・・。女は答えた、「ヘビわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」 創世紀 3:12 ~13
木の実を食べたことについて神に問われた人間は 自分の非を他人に擦り付けました 自分の行動の責任を拒み 他者を悪人にして罪をの免れようというのです 助け合うことを意図された人間同士の関係が 相手を悪者にして 自分は助かろうという 自分本位な思いによって崩れてしまいました 今この世界はこの罪で満ち溢れています 今もこのヘビは弱い私たちに対して生きている
では また次週に シャローム そして マラナ・タ
You are loved
( あなたは愛されます )
永遠の日々をどこで暮らすかを 考えてほしいと思っています
まだ
時間がある間に